まりもの産後うつ闘病記

双極性障害(躁うつ病)を持つママが産後再発→精神科入院→産後うつ状態のプロセスを経て寛解に至るまでを綴ったブログです。

双極性障害発症まで2 就活失敗

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こんばんは。まりもです。

 

今回は、私が最初に双極性障害を発症したときの経緯について、

続きを書きたいと思います。

 

以前私の病前性格について書きましたが、

別の言葉で表すと私は

「大した実力もないのにプライドだけはエベレスト級の野心家」

です!あいたたた・・・

・・・嫌われちゃうかな・・・(笑)

これを前提に読んでいただけるとよく理解して

頂けるかと思います。

嫌いにならないでくださいね(笑)

 

就職活動

大学3年生のときに、就職活動を始めました。

少し活動してみて、感じたことは

「今の社会だと私たちが30、40歳になる頃でさえ、

まだ女性が管理職になるのは難しいのではないか」

ということです。

 

学生のうちは男女の不平等ということを

さほど感じず生きて来られましたが、

就職活動をしてみると社会はまだまだ男性社会だなと

気づきました。

 

そこで私が考えたことは、

そうだ、○○士(某超難関国家資格)になろう!!」 

 

その資格を取れば女性でも十分な年収、社会的地位を

得られるし、結婚したり夫の転勤などがあってもなんとか

食べていけるだろうと判断したのです。

我ながら安直な発想ですね。

 

某超難関国家資格取得への挑戦

そこで私は某国家資格取得に向け、就職活動をやめ

大学院進学のために勉強を始めました。

その資格を取得するには大学院に通う必要があり、

合格するために数十万支払って予備校に

通うなど結構真剣でした。

私はその某資格と全く関わりのない学部に

通っていたので大変でした。

同級生達が就職活動を必死で行う傍ら、

私は予備校に通って必死に勉強する日々を送りました。

 

あっけなく挫折

しかーし!!勉強し始めてまもなくわたしは

気づいてしまいました・・・

私の能力では、この資格取得は到底及ばない、と・・・

ここでもう少し頑張っておけば・・・

などどいう思いは今も微塵もありません!

無理なものは無理でした(笑)

私には、到底無理なチャレンジでした。

自分の限界を知ることができて、よかったと思っています。 

就活再開

そこで私は就活を再開することになりました。

周りの同級生が、残りのモラトリアムを謳歌している

大学4年生の秋のことです。

・・・お、遅すぎる・・・orz

慌てて就職支援室に駆け込むも、

大変失礼な言い方ながらまともな会社は

もうとっくに採用を終えています。

あとは、大手企業の秋採用が少し残っているのと、

失礼ながらあまり学生に人気の無さそうな会社ばかり。

その中で私は、大手企業を狙いながら、

その他企業の中でもマシだと思える会社を受けました。

 

大手企業不採用と会社Aの内定

某大手企業と、私的に全然行きたくはないけれど比較的マシだと

思える会社A(本当に失礼ですみません)の2社が

最終面接まで残りました。

先に会社Aから内定の連絡が来ました。

この会社Aは人事の方の印象が良く、

良い会社なのかなという思いは少しありました。

しかし、プライドの高い私は絶対に大手企業に

入りたい!!

せっかく良い大学に入ったのに、就職を失敗するなんて・・・

そんな自分が許せない。

 

人生は甘くないものですね。

そんな私に天罰が下ったかのように、

大手企業からは不採用の通知が来ました。

私は絶望感で泣きに泣きました。

 

もう一年就職浪人をするという選択肢はなかったので、

わたしの会社Aへの入社が決まりました。

これが悲劇の始まりです。

 

 私が就職活動で感じたことは、数年間社会人として過ごした

今となってはあながち間違いではなかったし、

資格取得というのもなかなかよいアイディアだったと思います。

しかし、如何せん気づくのが遅かった。

高校生の時にきちんと将来のことを考えておくべきでした。

まぁ、仕方がないですね。

 

 次回は、私の会社Aでの生活について書きたいと思います。

 

では、おやすみなさい(^^)

 

 

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