まりもの産後うつ闘病記

双極性障害(躁うつ病)を持つママが産後再発→精神科入院→産後うつ状態のプロセスを経て寛解に至るまでを綴ったブログです。

双極性障害発症まで6 鬱状態から回復し、躁転 会社を退職し転職するまで

f:id:marimomental:20181221161824j:plain

 

こんにちは。まりもです。

昨日は大好きなL'Arc~en~Cielのクリスマスライブに

参加してきました!

とても素晴らしかったです♪

生きていると本当にいいことが沢山あるなと実感した一日でした。

皆さんも、病気に負けないで生きていてください。

 

今回の記事では私が重い鬱状態脱出→躁転→回復に至るまで

のプロセスと、

会社を退職して新たな会社に転職するまでのことを

書きたいと思います。

 

鬱状態脱出→躁転

前回の記事

双極性障害発症まで5 自殺未遂・休職 - 産後メンタルクライシス

で書いたように、私の鬱状態は重いもので、

一日の大半を布団の中で過ごしていました。

本当に言葉通り「布団の中」で、

掛布団で頭まで覆っていました。

外界が恐ろしくなるんです。

頭のなかでグルグルと

うつ病になってしまって私はもう転職も

出来なくて働けないだろう。

どうしよう。死ぬしかない。」

と人生詰んだストーリーを繰り返していました。

 

そんなある日、

私の頭の中にある考えが浮かびました。

 

「そうだ、学生時代に取得した教員免許があるじゃないか。

その資格を生かした仕事なら出来るかもしれない。」

 

今なら、

いや別にうつ病になったぐらいで転職出来るでしょ、

と思えるし、なぜ教員免許があればその問題が解決できるのか

特に筋は通っていないので理解出来ないんですけどね。

しかし、その時の私は希望の光を見つけた気分でした。

頭の中を覆っていた雲が、その光によって穴が開き、

パーっと晴れていく感覚がありました。

 

ろくに家族と言葉を交わしていなかった私ですが、

「生きていく術が見つかった!」と

興奮気味に家族に話したことを覚えています。

 

ここから私はみるみるうちに元気になっていきます。

長く重苦しい鬱状態からの脱出です。

本当に不思議で、

思考パターンを変えるという単純なことで、

鬱状態から脱することが出来ました。

思考パターンを変えるというよりは、

鬱パターンと異なるアイディアに

鬱の世界の中でたまたま出会った、

という方が適切かもしれません。

思考パターンを変えたくても変えられなくなるのが

うつ病だと思うので。

 

躁転

無事重苦しい鬱状態から脱した私ですが、

今度は再び躁の状態が出てしまいます。

鬱から脱した喜びが過ぎて、テンションが病的に

上がってしまったのです。

 

前の記事

双極性障害発症まで4 先輩の退職と発症 - 産後メンタルクライシス

で書いたように、レストランで食べきれないほど

多くの料理を頼んだり、本を何十冊も一気に買ったり、

高額な買い物をしたのはこの時期です。

普段絶対にしないガチャガチャを何回も回し、

ゴミのようなおもちゃを集めて喜んでいたこともあります。

この時の躁によって、私の口座に貯まっていたお金は全て尽きてしまいます。

それだけでなく、私はクレジットカードのリボ払いに手を出し、

長きに渡って返済に苦しむことになりました。

家族が双極性障害になり、躁状態になったときには、

現金・クレジットカード・預金通帳など

お金の管理に目を光らせ、

やんわりと過剰な買い物をやめるように

うまく誘導してあげてください。

失敗すると激昂しかねないので難しいのですが。

 

 

鬱状態から脱した喜びが過ぎて、

と書きましたが、機嫌が良いというわけではなく、

喜怒哀楽が病的に激しい時期だったと思います。

 

なかなか実家に会いに来てくれない彼氏に

ものすごい怒りをぶつけたこともあります。

その愚痴を友人にぶちまけたときに、

うつ病になった人と付き合ってくれてるだけで

有り難いと思え」と泣かれました。

私は「ああ、私って友人が泣くぐらい、おかしいんだ」と

ビックリしたことを覚えています。

如何せん、躁状態って本人は自覚がないんですよ。

 

連絡を絶っていた友人達と沢山約束をして、

相手をしてもらっていたのもこの時期でした。

外に出られることが嬉しくなって、

うつ病闘病記を聞いてもらっていました。

実は自分ではあまり覚えていないのですが、

この時友人達を誘ってしょっちゅう温泉に行っています。

心はまだ落ち着いていないので、無意識的に落ち着きたかったのだと

思います。

病気になってからも病前と変わらずこんな迷惑な私に付き合ってくれる

友人達には感謝の気持ちしかありません。

 

 

どういう経緯だったか忘れてしまったのですが、

家から飛び出してビジネスホテルを転々としたこともあります。

あくまで私の場合ですが、躁状態になると

「家族とうまくやっていく」という能力が

失われるのだと思います。

 

悲劇的なことに、実はこの時期に私の家族の別のメンバーも

同時に双極性障害を発症してしまいます。

家族の中に2人も躁でおかしくなった人間がいて、

我が家はめちゃくちゃな状態でした。

鬱よりも躁の方が、家族はずっと大変です。

 

退職

休職期間中は、傷病手当て金を受け取っていました。

大変助かりましたが、毎回会社の人と連絡をとらなければ

ならないのがストレスでした。

 

約半年の休職期間を経て、私は会社に復帰することはなく

退職することになりました。

在籍期間は2年と短いものでしたが、

休職期間によりキリのよい数字に出来たことは

後々転職活動の際に役立ちました。

 

病気になってしまった方は、退職を急がず、

まずは休職で時間を稼ぐことを強くおすすめします。

復職するか退職するかは、体調が回復してから落ち着いて考えてください。

 

社会復帰のためのリハビリとしてアルバイト開始

会社Aを退職し、躁状態も徐々に落ち着いて来た時、

私はリハビリとして(失ったお金を取り戻すためにも)

アルバイトを開始しました。

今思えば、飛ばしすぎたような気がしますが、

バイト先を複数掛け持ちしていました。

やはり正社員と違って、アルバイトはお給料は安いですが

気が楽です。

もしうつ病双極性障害で退職した場合、

正社員として社会復帰する前にリハビリとして

アルバイトにチャレンジするのもいいと思いますよ。

何も正社員にこだわる必要はないし、

転職活動の面接で空白期間のことを聞かれても、

「転職活動しながらアルバイトしてました」とかなんとか

適当に答えればいいじゃないですか。

 

転職

ほどなくして転職活動を開始しました。

比較的短期で次の仕事先が見つかりました。

幸い会社Aよりも条件がよく、やりたかった仕事に出会えました。

雨降って地固まる、といったところでしょうか。

(雨どころか、暴風が吹き荒れる超大型台風でしたが・・・)

会社に行かなくなってからここまで怒濤の半年でした。

短期で勝負がついた方だと思います。

気分障害で倒れた場合、次に起き上がれるようになるでまでに

数年かかる可能性があることも頭に入れておいた方がいいです。

 

 

 

双極性障害がどのような病気かわかっていただけたでしょうか。

自分はうつ病だ、と思っている人も、

実は双極性障害だったということもあると思うので、

「躁」という状態があるということをぜひ知って欲しいです。